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ベルサイユのばら、アンドレの失明から紐解く「交感性眼炎」とは?

  • 執筆者の写真: HASUMI
    HASUMI
  • 3 日前
  • 読了時間: 12分

片眼を怪我したアンドレはなぜ反対の眼も失明したのか?

 

 多くの人々に愛され続ける不朽の名作漫画『ベルサイユのばら』。その中で、主人公オスカルを献身的に支え、愛したアンドレ・グランディエの存在は、物語に深い感動を与えています。彼の物語の中でも特に悲劇的な要素の一つが、徐々に視力を失っていく過程です。作中では、この失明の原因は怪我にあるとされていますが、その詳細な描写は、私達眼科医にある稀な目の病気の可能性を彷彿とさせます。

 その病気の名は「交感性眼炎(こうかんせいがんえん)」。片方の目に受けた重い怪我が、もう片方の健康なはずの目にまで影響を及ぼし、視力を奪う可能性がある病気です。

 

 この記事では、『ベルサイユのばら』のアンドレの物語をきっかけとして、この交感性眼炎とは一体どのような病気なのかを解説していきます。(※フィクションの登場人物であり、作者の意図と必ずしも一致するかはわかりません)




交感性眼炎とは?:片方の目の怪我が、もう片方の目に「交感」する


交感性眼炎(Sympathetic Ophthalmia)は、非常に稀な目の病気です。その最大の特徴は、片方の目に「穿孔性(せんこうせい)外傷」と呼ばれる、眼球を貫通するような深い怪我や、目の手術を受けた後、反対側の、それまで健康だった目に炎症(ぶどう膜炎)が起こる点にあります 。怪我をした方の目を「起交感眼(きこうかんがん)」、それによって炎症が引き起こされた健康な方の目を「被交感眼(ひこうかんがん)」と呼びます 。

つまり、片方の目のトラブルが、あたかも「交感」するかのように、もう片方の目に伝播して炎症を引き起こすのです。現代社会において、交感という日本語がどのくらい一般的なのかはわかりません。英語はシンパシー=共感と訳すほうが理解しやすいように思います。


きっかけとなる原因:穿孔性外傷と手術

交感性眼炎の主な引き金となるのは、眼球を貫通するような重度の怪我、すなわち穿孔性外傷です。特に、目の内部にある「ぶどう膜」と呼ばれる組織(虹彩、毛様体、脈絡膜といった、色素に富んだ部分)が損傷した場合に起こりやすいとされています。

また、頻度は低いものの、目の手術(内眼手術)がきっかけで発症することもあります。重要なのは、眼球の壁を貫通するような損傷や手術がリスクとなる点です。表面的な傷では通常起こりません。

この病気の発症率は非常に低く、手術によらない穿孔性眼外傷の最大0.5%、手術による穿孔性眼創の約0.03%に発生すると推定されています。


歴史的背景:古くから知られた病

交感性眼炎と思われる現象は、古代ギリシャのヒポクラテスの時代から記載があるほど古くから認識されていました。しかし、医学文献として明確に記述されたのは、1830年代のスコットランドの眼科医マッケンジーによるものが最初とされています。

その後、19世紀から20世紀にかけて、戦争による眼外傷の増加に伴い、交感性眼炎の報告も増えました。特に、1854年から始まったクリミア戦争では、多くの患者が発生したと記録されています。当時は原因も治療法も不明だったため、片目の怪我が両目の失明につながるこの病気は、人々にとって大きな恐怖でした。


なぜ健康な目に炎症が起こるのか? - 免疫システムの「誤認」

 交感性眼炎がなぜ起こるのか、その詳細なメカニズムは完全には解明されていませんが、現在では「自己免疫疾患」の一種と考えられています。自己免疫疾患とは、本来なら細菌やウイルスなどの外敵から体を守るはずの「免疫システム」が、何らかの理由で自分自身の正常な組織を「敵」と誤認して攻撃してしまう病気です。

目の「特別な場所」:血液眼関門

通常、私たちの目の中、特に眼球の内部は、「血液眼関門(けつえきがんかんもん)」と呼ばれるバリア機能によって守られています。これは、血液中の免疫細胞などが、むやみに眼球内部に入り込まないようにするための仕組みです。いわば、目の中は免疫システムから少し隔離された「聖域」のような状態(免疫学的特権)にあるのです。

バリアの破壊と「異物」の認識

ところが、穿孔性外傷や手術によって眼球の壁が破られると、この血液眼関門も破壊されてしまいます。すると、普段は免疫システムに触れることのない眼球内部の組織、特にぶどう膜に含まれる色素細胞(メラノサイト)などが、体内の免疫細胞に直接さらされることになります。

免疫システムは、これらの普段見慣れない眼球内部の成分を「自分のものではない異物」あるいは「危険な存在」と誤って認識してしまうことがあります。その結果、これらの成分を攻撃するための抗体やリンパ球(免疫細胞の一種)が作られ始めてしまうのです。

「交感」の正体:もう片方の目への攻撃

一度、眼球内部の成分を「敵」と認識してしまった免疫システムは、その情報を記憶し、全身を巡って同じ「敵」を探し始めます。そして、困ったことに、怪我をしていない健康な方の目(被交感眼)にも、怪我をした目(起交感眼)と全く同じ成分が存在します。

全身をパトロールしている免疫細胞は、健康な方の目の内部にある同じ成分をも「敵」と認識し、攻撃を開始してしまいます。これが、交感性眼炎で健康なはずの目に炎症(ぶどう膜炎)が起こるメカニズムです。


遺伝的な要因も?

交感性眼炎の発症には、遺伝的な要因も関与している可能性が指摘されています。特定の白血球の型(HLA-DR4など)を持つ人は、持たない人に比べて、穿孔性外傷後に交感性眼炎を発症しやすい傾向があることが分かっています。これは、特定の遺伝子が、免疫システムが「誤解」を起こしやすい体質に関係している可能性を示唆しています。ただし、遺伝的な要因だけで発症するわけではなく、あくまで眼球を貫通するような怪我や手術が発症の「引き金」となります。


交感性眼炎の症状

交感性眼炎の症状は、通常、原因となる怪我や手術から数週間〜数ヶ月経ってから、健康だった方の目(被交感眼)に現れ始めます。

症状が現れるタイミング

最も多いのは、外傷や手術から2週間〜12週間後に発症するケースで、約80%がこの期間に起こるとされています。また、受傷後1年以内に約90%が発症するというデータもあります。しかし、非常に稀ですが、受傷から数年、あるいは数十年経ってから発症したという報告例も存在します。この発症までのタイムラグは、目の成分を「異物」と認識し、免疫応答が成立するまでに時間がかかるためと考えられます。


主な症状

被交感眼(そして、しばしば起交感眼でも持続・悪化する)に現れる主な症状には、以下のようなものがあります。

  • 視力低下・かすみ目: 最も一般的な症状の一つです。炎症によって目の内部が濁ったり、網膜の機能が低下したりすることで起こります。

  • 飛蚊症(ひぶんしょう): 目の前に虫や糸くずのようなものが飛んでいるように見える症状です。これは、目の中のゼリー状の物質(硝子体)に炎症による濁りが生じることで起こります。

  • 羞明(しゅうめい): 光を異常にまぶしく感じる症状です。虹彩など目の前の部分の炎症で起こりやすくなります。

  • 眼痛: 目の痛みを感じることもあります。炎症が強い場合に起こりやすい症状です。

  • 充血: 白目が赤くなることもあります。


これらの症状は、ぶどう膜炎によるものです。交感性眼炎は、ぶどう膜全体(前部、中間部、後部)に炎症が及ぶ汎ぶどう膜炎であり、肉芽腫性(にくげしゅせい)と呼ばれる特徴的なパターンを示します。

診察では、目の内部に炎症細胞が見られたり(前房混濁、硝子体混濁)、網膜が腫れたり剥がれたり(滲出性網膜剥離)、視神経が腫れたり(視神経乳頭腫脹)といった所見が確認されることがあります。これらの特徴はVKH病(フォークト小柳原田病)で見られる所見とほぼ一致します。


病気の進行と転帰

交感性眼炎は、診断が遅れたり、適切な治療が行われなかったりすると、炎症が進行し、被交感眼に深刻かつ永続的なダメージを与えてしまいます。緑内障や白内障といった合併症を引き起こすこともあります。最悪の場合、治療が奏功せず、健康だった方の目も重度の視力障害、あるいは完全な失明に至る可能性があります。起交感眼は、元の怪我自体によってすでに視力が低下していることが多いですが、交感性眼炎による炎症でさらに悪化することもあります。

このように、交感性眼炎は放置すると両眼の視力を奪う可能性のある、非常に重篤な病気です。そのため上記のような症状が出現したら速やかに専門医に相談し、早期発見・早期治療が、視力を守るための鍵となります。


アンドレを再訪:『ベルサイユのばら』は交感性眼炎を描いていたのか?

ここで、物語のきっかけとなったアンドレの失明について、交感性眼炎の観点から考察してみましょう。ただし、これはあくまでフィクションの登場人物に対する医学的な推測であり、作者が意図した描写と完全に一致するとは限りません。アンドレの状況が、交感性眼炎の医学的な特徴とどの程度一致するかを見ていきます。


アンドレの物語を医学的に分析

  • 最初の怪我: アンドレは物語の中で、片方の目を負傷します(具体的には、暴徒からオスカルを守ろうとした際にムチで打たれて受傷)。漫画の描写では、受傷時に流血しておりこの怪我が、眼球を貫通する「穿孔性外傷」であったと示唆されます。交感性眼炎の引き金としては、穿孔性外傷が最も典型的です。

  • 症状のタイムライン: アンドレは、怪我をした方の目の視力をまず失い、その後、時間をかけてもう片方の目の視力も徐々に失っていきます。この「時間差」は、交感性眼炎の重要な特徴と一致します。怪我からもう片方の目の症状発現まで、数週間から数ヶ月、時には年単位の時間がかかることがあるためです。アンドレの視力低下が、怪我の直後ではなく、ある程度の期間を経て進行したように描かれている点は、交感性眼炎の可能性を示唆します。

  • 症状: 作中では、アンドレが視界のかすみや視力低下を自覚し、それが進行していく様子が描かれています。これは交感性眼炎の典型的な症状(視力低下、かすみ目)と一致します。

  • 両眼性: 最終的にアンドレが両眼の視力を失うという事実は、交感性眼炎の最も悲劇的な転帰と一致します。片方の目の怪我が、もう片方の健康な目に炎症を引き起こし、結果的に両眼の視機能が損なわれるのが、この病気の本質だからです。


一致点と考察

これらの点を総合すると、アンドレの失明の経緯は、穿孔性外傷をきっかけとして発症し、時間差をおいてもう片方の目に炎症が及び、最終的に両眼の視力を奪うという、交感性眼炎の臨床経過と矛盾なく説明できる部分が多くあります。もちろん、漫画の描写には医学的な厳密さよりも物語としてのドラマ性が優先されるため、全ての詳細が医学的に正確であるとは限りません。しかし、重い目の怪我の後、時間をおいて健康な方の目にも異常が及び失明に至る、という基本的な流れは、交感性眼炎の病態を非常によく反映していると言えるでしょう。

もしアンドレが本当に交感性眼炎だったとしたら、彼が生きた18世紀後半という時代には病因も治療も確立されていなかったため、両目の失明は免れなかったと考えられます。


交感性眼炎の治療

アンドレの時代には治療は不可能でしたが、現代医学は交感性眼炎に対して様々な治療法を開発し、その予後を大きく改善させました。もちろん、依然として深刻な病気であることに変わりはありませんが、早期に適切な治療を開始すれば、多くの場合、良好な視力を維持することが可能になっています。


治療の主軸:免疫抑制療法

交感性眼炎の治療の根本は、誤って自身の目を攻撃している免疫システムの活動を抑えることにあります。この目的のために、強力な抗炎症作用と免疫抑制作用を持つ薬剤が用いられます。

  • 副腎皮質ステロイド: 治療の第一選択となるのが、副腎皮質ステロイド(一般にステロイドと呼ばれる)です。炎症を迅速かつ強力に抑えるため、多くの場合、まず高用量のステロイドを内服または点滴で全身投与します。点眼薬のステロイドも併用されることがあります。ステロイドは交感性眼炎に対して非常によく反応することが多いですが、長期間、特に高用量で使用すると様々な全身的副作用が問題となります。

  • ステロイド以外の免疫抑制剤: 長期にわたるステロイドの副作用を軽減するため、あるいはステロイドだけでは炎症を十分にコントロールできない場合に、ステロイド以外の免疫抑制剤が併用されます。シクロスポリン、メトトレキサート、アザチオプリン、ミコフェノール酸モフェチルなどが代表的な薬剤です。これらの薬剤は、ステロイドとは異なるメカニズムで免疫系の活動を抑え、ステロイドの減量を可能にしたり、治療効果を高めたりします。

  • 生物学的製剤: 近年、自己免疫疾患の治療はさらに進歩し、「生物学的製剤」と呼ばれる新しいタイプの薬剤が登場しています。これらは、免疫反応に関わる特定の分子(サイトカインなど)を標的として、より選択的に免疫反応を抑制する薬剤です。抗TNFα抗体(インフリキシマブ、アダリムマブなど)やインターロイキン阻害薬などが含まれます。


交感性眼炎の治療は、炎症を抑え、再発を防ぐために、しばしば長期間にわたります。治療中は、病気の活動性を注意深く観察するとともに、使用している薬剤の副作用が出ていないかを定期的にチェックする必要があります。


予防的措置:眼球摘出の役割

交感性眼炎の最も確実な予防法は、原因となる「起交感眼」、つまり重度の穿孔性外傷を負い、視力の回復が全く期待できない目を、早期に摘出することです。理想的には、受傷後10日から14日以内に眼球摘出術を行うことで、免疫システムが目の内部の成分に感作されるのを防ぎ、交感性眼炎の発症リスクを大幅に減らすことができると考えられています。

もちろん、眼球を摘出するという決断は、患者さんにとっても医師にとっても非常に重いものです。視力回復の可能性が少しでもある場合や、美容的な観点など、様々な要因を考慮して慎重に判断されます。特に遺伝的素因(HLA-DR4など)を持つ人の場合は、リスクを考慮してより積極的に摘出が検討されることもあります。

重要なのは、この予防的眼球摘出は、交感性眼炎が発症する前に行うことで最大の効果を発揮するという点です。一度、被交感眼に炎症が始まってしまうと、起交感眼を摘出しても、被交感眼の炎症を抑える効果は限定的であると考えられています。


現代における予後

現代においては、早期診断と、ステロイドや免疫抑制剤を用いた迅速かつ積極的な治療により、交感性眼炎の視力予後は著しく改善しました。多くの場合、被交感眼の有用な視力を維持することが可能です。しかし、依然として治療が難しいケースや、発見が遅れたために視力障害が残るケースもあります。専門的な眼科医による長期的な管理が必要となる、挑戦的な病気であることに変わりはありません。



交感性眼炎について調べるうちに長い記事になってしまいましたが、もし最後までお読みくださった方がいらっしゃいましたら誠にありがとうございました。今までベルサイユのばらを読んだことがなかったのですが、読み始めたところ、その面白さに引き込まれ、あっという間に全部読んでしまいました。今当たり前にある基本的人権や平等、民主主義などは苦労して先人たちが手に入れてきたものだと言うことを再認識できました。連載開始から50年以上経っているそうですが、その魅力は全く色褪せることなく、若い世代の方にもたくさん読んでもらいたいと思いました。




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